エマ・ワトソンと聞いて、「ああ、『美女と野獣』のベルでしょ」なんて言っている女子はまだまだもうちょっとである。

『ハリーポッター』シリーズのハーマイオニーを演じ、子役として超売れっ子の少女期を過ごした英国人女優であることは周知の事実だが、人気絶頂、多忙を極めながらも猛勉強し、米国のアイビー・リーグ校である名門ブラウン大学へ入学した才女でもある。また、女優としての活動を続けながら2014年に国連組織 UNウィメンの親善大使に任命され、2015年には世界経済フォーラムでジェンダーの平等についてスピーチを行う。その中で「私はフェミニストです」と明言したことで、世界中の話題となった。

さて、今回はそんな世界が認める才女でフェミニストのエマ・ワトソンが「米国本社からやってきた黒船」として、突如日本の私たちのごく平凡なオフィスにやってきたら……という、わりと実験的な妄想をしてみよう。

……独身アラサー編集のY子が、パソコン画面をしみじみ眺めながら言いました。「河崎さん、エマ・ワトソンの『ノーブラ』写真ってご存知ですか。世界経済フォーラムでフェミニスト発言をした彼女が、その後バニティ・フェア誌でバストトップだけを隠した姿を掲載したんですよね」

フェミニスト=怒っている人?

私:綺麗ですよねぇ。エマ・ワトソンは女優だけでなくモデルとして化粧品やハイブランドのイメージキャラクターも務めましたが、どの写真も知的で綺麗でため息が出ますね。でもその「ノーブラ」写真は、「フェミニズムを連呼するくせにセミヌードを披露するのか?」と物議を醸したものです。

Y子:驚きましたよね。フェミニストって聞くと、男性に性の対象として見られるのを嫌悪していそうなのに、自分から胸を出すなんて。

私:本人は「フェミニズムと女性性は矛盾しない」と発言していますし、フェミニズムとは女性が幸せであるための考え方なのだから、女性として美しくあろうとすることや、美しさをアピールすることは間違っていないとして、擁護派も多かったんですよ。でもわかります、エマ・ワトソンのアプローチって、今までのフェミニストたちとはちょっと違う印象だから、驚かれますよね。女性であることのメリットは十分に味わいつつ、でも現在の世の中は女性と男性とは立場がまだ対等ではないとしっかり主張する。男になりたいわけじゃないから、女性的であることを否定しないんですよ。

Y子:確かに、従来のフェミニストのイメージとは異なる感じがありますよね。

私:どんなイメージを持っていたんですか?

Y子:女性のためと言いつつ、男性に対してだけじゃなくて「無自覚な女性」にも牙を剥く感じがコワいというか。男性も女性も敵認定していそうで、何が怒りのポイントになるのかわからない感じがするし。特にSNSなんかで見ると、フェミ派に対して「なんでいつも怒ってるの?」「なんで怒りのネタを次々探してくるの?」って批判もありますよね。

自分をフェミニストだとは思っていない女性から見ると、言っていることに共感することももちろんあるけれど、「自分たちだけがわかっている」という雰囲気が醸し出されているから近寄りづらいです。エマ・ワトソンがもし「米国本社からの黒船」的に日本のオフィスに来たら、きっとみんな恐々ですよ。

彼女からしたら日本の伝統的なおじさんばかりのオフィスなんて、「は? 中世なの? 日本ではまだ産業革命来てないの?」って感じかも。うっかり「かわいいね」とか「飲みに行こう」なんて言ったらめっちゃキレられたりしそうです。

私:日本の会社組織はガラパゴス文化で安穏としすぎたので、私はこの際、黒船でもなんでも来てめためたにぶっ壊されちゃえばいいと思っていますけどね。日本の頑固な「秩序」とか「常識」ってのは、文脈を全く同じくしない人によってようやく破壊されうる——言葉は悪いですが「バカと外国人だけが日本を変えられる」とよく言われますが、私もそう思います。

フェミニスト「じゃない」ってどういうことだろう

私:ただ、「フェミニスト」イコール「怒っている人」「真面目でコワい人」「女らしさを拒否する人」という偏ったイメージが固定してしまったことは残念に感じます。どこかのタイミングで怒ることがフェミニストの主張の方法論だと勘違いされてしまったからで、社会によるフェミニズムの戯画化というか「茶々」を打ち破れなかったことの表れですし。それを笑って否定して軽やかに乗り越える新しいフェミニスト像が、それこそ「既存の女性フェミニストの中で眉をひそめられる女性フェミニスト」、エマ・ワトソンのような気がします。

Y子:じゃあ、フェミニストってなんなんでしょう? 自分がそうだと宣言した途端、周りの反応が一気に警戒モードに変わると思うんですよ。ハリウッド女優でもポリコレ(ポリティカル・コレクトネス——政治的な正しさ、を求める発言者)のレッテルを貼られると、「使いにくい女優」扱いになって干されたりするじゃないですか。自分がフェミニストだと言わない方が、他人の色眼鏡なしに自分の言いたいことを言えるし、余計な偏見や反発を受けずに済みますよね?

私:そうですねぇ、Y子さんも私も自分はどちらかというと「フェミニストではない(たぶん)」という自覚がありますよね。でも女性が社会的に感じている不自由や、世界の少女や女性が強いられている理不尽をもちろん理解できるし、女性の味方もする。ではフェミニスト「じゃない」ってなんなのか、という問いも出てくるんですよ。「女だということだけが理由で不自由なのっておかしくない?」と思う、本来の意味でフェミニストじゃない女なんているのか、って。自分が女だからと理不尽に扱われていいと思う女なんて、いないでしょう?

フェミニズムという学問はオワコンだと思っていた、けど

私が学生だった90年代、超リベラルな(事情はいつか話すけど、かなりサヨクの)家庭で育った私は、フェミニズムという学問は60〜80年代でその役目を終えたと思っていた。それはすでに社会に浸透しているとてっきり信じ込んでいたし、まして自由の国アメリカならなおさらだろうと思っていた。

だからアメリカの最高峰の大学に遊びに行って、そこで女性学を学んでいるという女子学生に出会ったりすると「もっと先進的で実際の社会の役にたつ学問をすればいいのに。経営学とか」なんて、若干がっかりしていたのだ。2010年代の言葉でいえば「そんなオワコン、何がいいの?」って。

ところが、学生という一種の安全地帯で守られた身分を終えてみたら、世の中って、オジさんもオバさんも、結婚とか出産とか子育てとか、謙虚で可愛くいろとか何とか、「若い女はこうあるべき」とあったりまえに舐めてかかってくるからびっくりした。私本人の能力とか私が何をしたいかなんて、彼らにはどーでもいいんだ、興味ないんだ、私は社会に費やされる「資源」に過ぎないんだと知った。

で、女としての人生を進めれば進めるほど、わかったのだ。ああ、あの女性学が終わらないのは、女を舐める社会が終わっていないからだ、って。自分が女性学を学ぶかどうかとは別に、フェミニズムとかフェミニストという人たちが、何と向き合っているのかは理解できた。エマ・ワトソンなんて、「女を商品として扱う」ショービジネスの真っ只中で多感な少女期を過ごしたのだ。そりゃあ自分を切り売りされ、自己を大人たちに踏みにじられ、不愉快な思いをし続けてきただろう。

きっとフェミニストに抵抗がある人たちからすると、エマ・ワトソンが世間で受けのいい「美人女優」であることには、コワいフェミニストのイメージと違うっていう、微妙な当惑があると思う。でも、女性性を否定するのがフェミニストだというイメージにも違和感がある。

女性であることを否定したり押し殺したりする必要はないんじゃないの?とね。フェミニズムって男女同権論だけじゃないので、別に男女で厳密に「同じ権利」じゃなくていいよ(だって別の生き物なんだし)と思っていいし、怒らなくていいし、闘わなくていいんですよね。女として自由でいたい、多分その気持ちだけがあればいいんだと思う。その気持ちをあなたがフェミニズムと呼ぶかどうかは別として。

(河崎 環)

元の記事を表示