アラサー期といえば、やっと仕事も一人前にできるようになってきて、仕事が楽しくなってくる時期。独身ならそろそろ結婚や出産を考える時期かもしれません。

そんな「仕事も人生もこれから」という時期にがんを発症したら……。「仕事はどうなるの?」「と言うか休職できるの?」「生活はどう変わるの?」といった疑問が一気に湧いてくるのではないでしょうか。

今日はがんじゃないかもしれない。でも、明日がんになったらーー。

ちょうど5年前の2012年、29歳の時に子宮頸がんを発症し、約1年2ヶ月の闘病生活を経て、今はがんサバイバーとしてがん患者やその家族のための施設「マギーズ東京」で商品開発に関わっている水田悠子さん(34)。前半に引き続き、お話を聞きました。

水田悠子さん

水田悠子さん

「マギーズ東京」で商品開発に携わる

——前回は手術までのお話を中心に聞きました。最終的に闘病期間はどのくらいだったんですか?

水田悠子さん(以下、水田):5月31日に手術をして、翌年の7月に復職したのでトータルで約1年2ヶ月ですね。

——現在は、がんになった人や家族、友人など、がんに影響を受けた人のための施設「マギーズ東京」で活動をされていると伺いました。活動のきっかけを教えてください。

水田:手術後にいろいろながんの患者会に顔を出したんですが、しっくりくる場がなかったんです。がんのことはまわりの人にも話していたので「ここでしか言えないがんの悩みを分かち合おう」というのは自分のニーズとちょっと違うなと思っていましたし、同世代の人が少なかったのでそもそも悩みが違うんですよね。

「子どもにがんのことをどう言おうか」とか「夫の家族に申し訳なくて……」という悩みも独身で子どものいない私にとっては、遠く手の届かない世界に感じてしまったり……。

——なるほど。同じ患者でもいろいろな悩みの違いがあるんですね。

水田:そんなあるとき、若年性がん患者の会を見つけたんです。「STAND UP!!」という、35歳までにがんにかかった若年性がん患者による団体でフリーペーパーを発行しているんですが「若くしてがんになったけれど恋愛はどうしよう」とか「復職後にどうキャリアを作っていこうか」といった、私が知りたかったことがたくさん載っていました。

共同発起人のひとりは日本テレビの記者でもある鈴木美穂ちゃんなんですが、「こんな若くて可愛い人ががんの活動をしているなんて素敵!」って思ったんです。美穂ちゃんは私より1歳年下なんですが、がんとは関係ない共通の友達が何人もいて。直接話して仲良くなりたいと思っていたけれど、なかなか会える機会もなかったんですが、去年の春に「STAND UP!!」の集まりで初めて会いました。

ちょうど美穂ちゃんは2016年10月の「マギーズ東京」のオープニングに向けて活動していて、私が仕事で商品開発をしていることもあって、マギーズのオリジナル商品の開発チームに誘ってもらいました。マギーズは施設の運営資金をいろいろな方法で集めているのですが、オリジナル商品を買っていただくことで寄付に協力してもらえるんです。

——「マギーズ東京」の活動に参加して変わったことはありますか?

水田:私はがんのことは友達や職場の方にも隠さず話してはいたんですが、SNSなどで公に向けて書いたことはなかったんです。でも、美穂ちゃんが「ヨーロッパの国際会議で『がんになったことを隠さずに話せる社会にすることが、がんになっても自分らしくいられる社会にする第1歩だ』と言われて意識が変わった」と話してくれて。

それを聞いて、去年の秋に初めてFacebookでがんのことを投稿しました。正確に言えば、「マギーズ東京」で自分が紹介されたブログをシェアしたんですが、いろいろな人から反応があって驚きました。

——どんな反応だったんですか?

水田:たくさんの人があたたかい声をかけてくれました。会社でもいろいろな人に声をかけてもらって、「発信してみようか」という気持ちが芽生えてきました。もしかしてこの経験って自分の強みや特徴に変えられるんじゃないかって。こうやってお話をしているのもその一つです。

病気になっても「決めるのは自分」

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——そういえば、闘病生活を支えてくれた彼とはその後、どうなったんですか?

水田:彼とは別れてしまいました。病気のことが原因ではなく、むしろ家族と同じくらい闘病を支えてくれたんですが、ほかのいろいろな理由で……。結局、私からお別れを告げました。

——水田さんから別れを切り出したんですね?

水田:はい。周囲には「病気の時にあんなに支えてくれたのに」と言われたりもしたんですが、それを一緒にいる理由にして、いろいろなことを飲み込んで一生やっていくというのは違うな、明らかにフェアじゃないなと思ったんです。結婚という形で交わることはなかったですが、人生で一番感謝している人、多くを教わった人に変わりはないですね。

——私はがんになったことはないのであくまでも想像ですし、失礼な発言だと思うのですが、もし自分が水田さんと同じ状況になった時に自分に「選択肢がある」と思えるかどうか、自信がないです。なので、そんな状況でも「自分で決断をする」ことをした水田さんに対して心から「すごいな」と思います。

水田:実は、それはお別れしてしまった彼に教わったことなんです。「大事なことは自分で考えて、自分で決めて、自分で責任を取る」ということを教えてくれました。生きていく上で一番大事なことだと思っています。どんな治療をするかを決めることは命のかかった非常に大事な選択だと思うんですが、それこそ自分で決めて責任を取らないといけない。

「先生がおっしゃる通りに」とか「家族が望むからこういう治療をしてください」というのはいけないと思っていて。なので、私は病院で有名になるくらい口うるさい患者だったんです。治療方法や薬についての要望を出しまくりました。「漢方は肌にいいこっちにしてください」とか「ご飯はこうしてください」とか注文が多い患者でしたね。

——なるほど。先ほどからお話を聞いていて、水田さんはとてもユーモアがあって強い人だなという印象なんですが、それでも落ち込んだり弱気になったりすることはなかったんですか?

水田:もちろんありました。がんにかかってからは自分の弱さ、臆病さと否応なく向き合わされることばかりでした。それこそ、「ユーモアのある強い人でありたい」と思って生きてきたのに、怖くて無力さを感じることばかりで。

でも、病気になって怖かったのは、自分の心身がコントロールできなくなることだったんです。体のことは医療に任せるしかないですが、心は我を失うことがないようにしたいなと思って、“悲劇のヒロイン”になって事態を必要以上に深刻に受け止めないようにしようと思いました。

「がんを経験した自分」として前に進む

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——がんになって「変わらなかった」ことって何ですか?

水田:がんは通常、5年間何事もなければ「完治」とされるんですが、5月31日で手術から丸5年なんです。(5月31日を迎えたら)ずっと前から今まで我慢していたことーー安心して号泣したり、祝杯をあげたりするんだ、そして、病気になる前の元の自分に「戻って」生きていくんだと思っていました。

実際に5年経ってみて意外だったのは、がんになって以降の自分が「普通」になっていて何が変わって何が変わっていないかがわからないんです。がんになっていない34歳の自分は想像できないし、何ががん以降に作られたのかがわからないというか。

5年経って「完治」と言ってもらえても、元に戻ったりはしない。その経験をした自分、影響を受けて変化した自分として前に進むんです。

「できない」「無理」が言えるようになった

——なるほど。

水田:あ、内面で変わったことはありました。さっきも言ったんですが、仕事がいったんどうでもよくなってしまって、「仕事がすべて」で働いている人ばかりではないということがわかったんです。それまでは「ストイック」と言われたりしていたんですが、自分ではストイックなんて思ったことなくて。

「自分は能力が人よりないからがんばらないといけない」って思ってたんですが、あれほど言えなかった「できない」「無理」が言えるようになったんです。逆に命に関わる病気でもならないと私は変われなかったんだと思います。できないものはできない、でもできるものもあるからそれで許してって思うようになりました(笑)。

「キレイになりたい」を我慢しなくていい世の中に

——これからやっていきたいことは?

医療が発達するにつれて、がんになった後の人生を生きないといけない人は増えていくと思います。「がんになってよかった」とまでは言いませんが、がんになった経験を自分の強みやプラスにして、がんだけでなく辛い経験をした人を理解できる人になりたいし、究極はサバイバーとノンサバイバーの垣根をなくしていきたいと思います。

美容に関わる仕事をしているというのもあって、特に美容の分野で不便や垣根を壊したい。サバイバーでもキレイになりたい気持ちを我慢しなくていい世の中にしたいんです。

自分が困った弾性ストッキングの開発なのか、アピアランスケア(外見の悩みへのケア)なのかわからないですが、「がんとビューティー」というテーマには一生かけて関わっていきたいと思います。

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(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘/HEADS)