アラサー期といえば、やっと仕事も一人前にできるようになってきて、仕事が楽しくなってくる時期。独身ならそろそろ結婚や出産を考える時期かもしれません。

そんな「仕事も人生もこれから」という時期にがんを発症したら……。「仕事はどうなるの?」「と言うか休職できるの?」「生活はどう変わるの?」といった疑問が一気に湧いてくるのではないでしょうか。

今日はがんじゃないかもしれない。でも、明日がんになったらーー。

ちょうど5年前の2012年、29歳の時に子宮頸がんを発症し、約1年2ヶ月の闘病生活を経て、今はがんサバイバーとしてがん患者やその家族のための施設「マギーズ東京」で商品開発に関わっている水田悠子さん(34)に話を聞きました。

水田悠子さん

水田悠子さん

定期検診を受けてても…

水田さんは大手化粧品メーカー「POLA」に新卒入社。現在は商品企画部門で商品の企画・開発に携わっています。

水田さんが発症した子宮頸がんは、子宮の下から3分の1、膣につながる部分(子宮頸部)にできるがん*で、近年20代、30代の女性の間で増えているといいます**。早期に発見すれば比較的治療しやすいと言われています。

*日本のがん検診データ(日本医師会)
**子宮頸がん 基礎知識:国立がん研究センター がん情報サービス

——まず、がんにかかっているとわかった時の状況を教えてください。

水田悠子さん(以下、水田):親戚や知人でもがんにかかった人が多かったこともあり、早くから検診は受けていたんです。それでもがんにかかってしまった。私がかかったのは子宮頸がんの中でも腺がんという、検診での発見が難しい種類のがんで……。検診でわかることには限界があるんだなと思い、衝撃でした。「検診を受けましょう」と啓発すること自体はとてもよいことだとは思うんですが、受けていたとしても「絶対安心」というわけではないんだなって。

——検診では発見できなかったんですね。

水田:そうなんです。がんがわかったきっかけは、不正出血が何度かあったので近所の婦人科に行ったことでした。がんの検査をしても「異常なし」で、しばらく通院していたんですがなかなかよくならなくて。「スッキリしたほうがいいから、大学病院に行って精密検査を受けたらどうか」と言われ2012年の春に検査を受けました。

結果がわかるのはゴールデンウイーク明けということだったんですが、連休中に電車の乗り換えをした拍子に大出血して。駅のトイレから出られないし、そもそも立ち上がれない。失血死するんじゃないかって思うくらいひどい状態になって……。ちょうど病院まで2、3駅のところだったので、なんとか病院まで行ったんです。その段階ではまだ検査結果は出ていなかったので、応急で止血の処置だけをしてGW明けに病院に行きました。

——そこでがんを告知されたと。

水田:検査の結果を聞くために病院に行ったんですが、なかなか呼ばれなくて。まあ、私も出血もあったし「何かあるな」と思っていて、事前にネットなどで調べていたんです。もしかして初期のがんかもしれないなとか。やっと呼ばれたのは他の患者さんがすべて帰った後。診察室に入ったら深刻な顔をした先生から「一人で来たの?」と言われて。それからがんを告知されたんですが「一刻を争うから治療の話をしたい」と言われ、精密検査や手術の日取りが決められていきました。先生から「再発リスクが高いため、重い治療をしないといけない」と言われました。

大好きな化粧品の仕事も「すべてどうでもよくなった」

0524squadkamo-0148

——告知された時はどんな心境でしたか?

水田:午前中に病院に行って、午後から会社に行く予定だったんですが、そんな気になれなかったですね。それまでは仕事中心の生活で週に5回立ち食いうどんを食べて、いつの間にか消しゴムを食べてても気づかないかも……みたいな感じだったんですが(笑)。そこまで激務というわけではなかったんですが、性格的に「できません」と言えないタイプで。ワーカホリック的な生活を送っていたんです。

でも、がんの告知を受けてすべてがどうでもよくなっちゃった。それまではほぼ100%仕事に情熱を傾けていたんですが、「化粧品がなくても死なないし、シミもシワもどうでもいいじゃん」ってなっちゃって。翌日から会社に行けなくなってしまったんです。手術は3週間後くらいでそれまでは仕事に行ってもいいと言われていたんですが……。

職場の方々にはとても迷惑をかけてしまったと思うんですが、その時はどうしても余裕がなくて。翌日に会議やアポも入っていたんですが、本当に何も考えられなくなってしまったんです。あんなに大好きな仕事だったのに。悲しいことなんですが……。

——会社の上司や同僚の反応は?

水田:女性が多い職場で、当時の上司も女性だったんですが、今でも感謝しています。20代だったので、「まだ会社に何も貢献していないのに休職の制度を使って申し訳ない」って言ったら「そんなことない。どれだけ休んでもいいから、必ず戻ってきて。場所を空けて待っているから」って言ってくれたんです。

復職してからも、しばらくは時短勤務で残業や出張も禁止と医師から言われていたんですが、そういう働き方ができるように計らってくれました。一方で、がんを告知された時に「仕事がすべてどうでもよくなってしまったダメージ」が数年間続きました。

——“ダメージ”というのは?

水田:化粧品が大好きでずっとやりたかった仕事をしていたのに、病気になった途端に仕事なんてどうでもいいという気分になってしまった記憶が抜けなくて、前みたいに熱心に仕事をやるモードになれなかったんです。「がんばりすぎると、またがんになるんじゃないか」という恐怖にもとらわれていました。なので、商品企画でも開発のサポート、生産管理の調整やコストとスケジュール管理などの仕事に配置をしてもらいました。

——商品企画をする気にはなれなかった?

水田:企画ってクリエイティブな仕事なんですが、クリエイティブなことってキリがない。より良いもを作っていこうとする仕事なので終わりがないし、やりきる自信がなかったんです。会社は「体調を優先しながら、企画以外のスキルを身につける機会にしてほしい」と言ってくれたのでありがたかったですね。

恋人は絶句、母は「いたって普通」

——家族の反応は?

水田:がんがわかったのは、たまたま実家に戻ったばかりのタイミングだったんですが、病院から帰宅してまず父親に言ったら「絶対にベストな治療を受けられるようにするからがんばろう」って言ってくれて。母親は仕事をしているんですが、「ママに言ったら気が動転して夕飯を作るどころじゃなくなっちゃうと思うから今夜は外で食べようか」なんて話していたんです。

母が帰宅してがんのことを話したら「あらそう、じゃあ治すしかないわね」と言って、普通に夕飯を作り始めたんです。母方の親戚も多くがんを経験していたせいか母はいたって普通で。泣き崩れたり「代われるものなら代わってやりたい」なんて言われたりしなくて本当に良かったというか……。もちろん私の前では普通に振舞って、裏ではないていたと思うのですが、普通でいてくれたことがとても救いになりました。

——恋人や友達の反応は?

水田:当時付き合っていた彼は不正出血があった時から「病院に行ってほしい」と言っていて。病院の帰り、タクシーの中でがんだったと話したら絶句でした。でも、その後がんのことをすごく勉強してくれて闘病生活を支えてくれました。

まわりにがん経験者が多かったせいか実態以上にがんは治るものだと思っていたんです。なので友達にも何も気にせずがんにかかったと話していたんですが、そこからいろいろな経験をしました。親交が深まった子もいるし疎遠になった子もいる。

当時は何も配慮できなかったんですが、今思えば聞くほうだってショックなんですよね。気が動転したのか、こちらがイラっとするようなことばかり言ってきてケンカした子もいます。その後、仲直りしましたけど(笑)。

でも、なんとかしてあげたいとか支えになりたいと思ってくれる気持ちは共通で、定期的になんてことないメールを送ってくれたり、今まで読んで面白かったマンガを「こういう機会もないと読まないだろうし」と送ってくれたり。いろいろな形で支えてくれましたね。友達の大切さを実感することがとても多かったです。

——治療は具体的にどういうふうに進んだんですか?

私は早期とは言えない段階で発見されて「子宮は残せない」と告げられました。手術をし、その一週間後から6クール抗がん剤治療をしました。点滴を1週間流して3週間期間をおいてまた1週間抗がん剤を流すという治療で、すべて終わったのは10月半ばでした。

——抗がん剤治療はとても辛いと聞きますが……。

水田:それが私の場合、脱毛はあったのですが、体調の副作用は予想よりも軽くて1回も吐いたりはしませんでした。人によるのかな。最近は副作用を抑える薬も進歩しているみたいでよく効きました。私の場合だけかもしれないですが「2日酔いのほうがよっぽどつらい」という感じでした。

若い女性ががんになることが想定されていない

0524squadkamo-0188

——髪の毛は抜けるんですね。

はい、体中の毛という毛がすべて抜けました。美容を仕事にしていましたし、「外見は大事」という意識がとても強かったのでウィッグはいいものを買おうと決めていました。30万円くらいかけて、とても気に入るものを用意して、それを着けて出かけまくっていました(笑)。価値ある投資だったと思っています。

——外見は変わりましたか?

水田:そうですね、髪の毛が抜けたり、着るものにも制限があったりで、自分らしくいられない時期もありました。それによって気づいたこともあって。がんって若い人がなるっていう想定がされていないんだなーって。ウィッグも医療用のものは、マダム向けのデザインが多くて、若い女性が普通にする髪型の選択肢がないんです。つけまつげもギャルっぽい派手なものしか売っていない。すごく不便だなと思いました。

——確かに。がんといえば比較的年をとってからなるものというイメージがあります。

水田:また、私はリンパ節も取ったんですが、リンパ節を取ってしまうとリンパ浮腫という後遺症のリスクがあるんです***。発症すると緩やかに進行していくので、むくまないように医療用の弾性ストッキングを履くんです。200デニールくらいのダンボールみたいな色の分厚いストッキングを生涯常に履かないといけない。価格は2万円くらいして、頻繁に買い替えも必要なんです。

***リンパ浮腫 国立がん研究センター がん情報サービス

——ダンボールみたいなストッキングですか?

水田:そもそも普通に外見に気を使う人を想定していないんですよね。「命が助かるならいいでしょ」みたいな。見た目は二の次なんです。ここ最近のファッションのトレンドとして「ヌケ感」や「自然体」とかが大事なのに、ダンボールはダメでしょって(笑)。

今は市販の着圧ストッキングを履いて試行錯誤しながら過ごしていますが、同じ病気を抱えている子たちと「今年も素足の季節がやってきたね。羨ましいね」って話しています。美容に関わる仕事をしていることもあり、機能が優れていても見た目が素敵でないものが高く売られていてそれしか選択肢がないというのは、大きな課題だと感じています。

商品開発者として素敵なものを1円でも安く作るためにものすごく努力をしているし、だからこそ自分がお金を払うものは美しく素敵なものを選びたい。見た目は二の次じゃダメなんです。たとえがんにかかったときだって……。

0524squadkamo-0332

次回は、手術後の生活や「マギーズ東京」の活動などについて聞きます。

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘/HEADS)

元の記事を表示